世の中のことについて考えた

83年生まれ、女性。元新聞記者、精神保健福祉士、その他。そんな私の硬と軟。

精神科での身体拘束は、「残っている」ではなく「増えている」

精神科患者の地域移行や長期入院の回避が進められ、精神科病床を減らしていこう、入院を減らそう、というのが医療界の流れだと思っていた。そこからすると、閉鎖病棟や身体拘束は減っている、でもまだ残っている、ということなのかな、と。実際は逆で、身体拘束は増えているらしい。1週間以上、ほぼ24時間拘束され続ける患者もおり、その後にエコノミー症候群で血栓が詰まった結果、心不全で亡くなることもあるという。ニュージーランド人の男性が精神科入院直後に死亡したという事件は、報道でうっすら覚えている程度だったが、先日のハートネットTVで背景を知ることができた。

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増加の要因としては、精神科病院での急性期患者の割合が増えている、認知症患者が増えている、ということらしい。統計的には出ていない。なぜ増えているか、ということより、まずは身体拘束の害、エコノミー症候群による死亡についてだけでなく、トラウマを抱え続けているという患者の話も紹介されている。

「精神科病院の身体拘束」カキコミ板ウオッチ 第1回 身体拘束の法的根拠 | 福祉の潮流 | ハートネットTVブログ:NHK

私も、閉鎖病棟保護室にある身体拘束器具を見たことがある。もちろん使われていない状態のものだが。身体拘束をされたことがある、と言っていた人ものちの障害福祉事業所で会ったことがあるが、彼にあまり思い出してほしくないこともあり、深く聞かなかった。身体拘束、1週間。身体拘束がほぼ全くない国もある。病院の中での悪癖として、または人員不足の結果として行われている部分が多いように感じる。精神疾患の人と、対話によって向き合っていくということは相当な覚悟を要する場合も多い。でも、向き合わなければよくならない。すなわち身体拘束をしても、よくならないということであれば、下に紹介されていたように、「転倒などで身体を傷つける可能性もありますが、拘束しない、ということに同意してもらえますか」と家族から同意を得ること、そのことで、リスクはありつつも症状の改善を目指していくということ(他科の診療では極めて普通のことのように思う)が現実的ではないだろうか。

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「対話」は精神科領域の治療になりうる

NHKハートネットTVで特集されていた、精神科医療で行われている「オープンダイアローグ」。これを、「治療法」と位置付けて精神科でなされている様子が写されていた。患者、家族、医師、看護師、心理士などが輪になって話を聞き、時には医師らが自分の話もしたりして、対話をすすめていく。患者の話を聞いて、そこから少し視線を切り替えて、医師らがその話から考えることについて、考察を患者の前で意見を交わす。患者の前で、患者抜きの客観的なケース会議が開かれるような感じだ。

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医師らが時間をかけて話を聞き、言葉を返す。治療法を決めるためだけでなく、その会話自体が治療になりうる。患者は小さな「?」を膨らませたり妄想化させたりしなくて済む。生活を変えたり薬を飲んだりすることへの理解も進み、病気と付き合う生活に前向きになれる。

これだよ!と思った。常々、「医者は短時間で精神科患者の何を見ているのだろう?」と思っていた。日常で関わる、たとえば日中活動サービスの支援者らは、時には家族以上に長い時間、彼らの様子を見て、言動を聞いて、今のはどういうことではないかな?病気の症状かな、性格の部分かな?などと考えながら対応する。誰だって、私だって、医者の前では違う、よそ行きの自分を演じていることがある。その「よそ行き」を見て、それがよそ行きだと見抜けるかもしれないが、では日常の部分を見通せるのか?

精神科患者に対して、「言葉に頼りすぎるな」と言う同僚がいたが、私は、言葉で会話、対話できることこそ、彼らの救いだと思っている。言葉を交わすことで、考え方を少し変えたり、考えを深めたり、ということができやすくなる。小さな変化を見ることができ、それが本人にとっても支援者にとってもうれしい。

オープンダイアローグ。果たして診療報酬上の評価はどうなんだろうか?そこらへんは

今度調べてみたい。

一時託児サービスは虐待の予防・発見に役立つのでは

児童虐待のニュースは本当に胸に痛い。伝えられる情報から、その虐待場面を思い浮かべてしまうからだ。虐待する側の親がしんどい、共感できる部分がある場合もあるが、すべての場合で子どもは虐待されるべき理由はない。どうにかできなかったのだろうか、と考える人も多いだろう。

その具体的な方法について、効果があり、なおかつすでに機能している例がある、と知ったのが、月刊福祉(2018年12月号)である。図書館で借りて、返却直前の今日まで置いてあったもの。特集は「地域で支える子ども・子育て支援の展開」。

その方法とは、理由を問わない一時託児機関を設けること、である。保育園は、もちろん親が就労していたり病気があったりと「保育できない明らかな理由」が認められなければ利用者となり得ない。普段保育所を利用していない人が一時保育を使うのにも、定員などでハードルが高い。(保育園では一時保育を片手間的にやっているところがほとんどだと思う)。

大日向雅美さんたちがやっているNPO法人あい・ぽーとは、365日の一時託児所を2003年からやっているという。1時間800円程度の料金設定で、生後2か月から預けられる!!

www.ai-port.jp 子どもの家庭環境や育ち方は、接してみるとすぐにわかる場合が多い。託児してもらえば、子どもの様子も、親の様子もわかる。親の「預けたい」というニーズがあるから、自分から支援拠点に接触してくる理由になる。子ども食堂も、同じような機能があるのではないか。

あい・ぽーとは年中無休をうたっているが、特集では大分県福祉会が月に1回、日曜日にやっている子育てサロンも紹介されていた。月1日でも、子どもを安心して、だれにもとがめられずに預けることができれば、親にとっての意味はとても大きい。虐待のサインに気づくための発見機能だけでなく、親がゆとりを少し取り戻すことで虐待の予防にもなる。

うすうす、スポット的な託児サービスの意味の大きさには気づいていた。先日も、自分がいける範囲での「託児付きイベント」を探したばかり。多少興味が持てなさそうな後援会でも、子どもを預かってくれるなら行きたい。興味のない映画でも、ぜひ観たい。

託児サービスは、潜在的な可能性を秘めている。託児の利用だけでないところで、いつか関わってみたい事業のひとつだ。

拳銃強奪事件容疑者の「手帳所持」ニュースは今必要なことか?

大阪で拳銃が強奪された事件。犯人逮捕のニュースで、NHKは昨日の昼、「精神障害者福祉手帳2級を持っていた」と伝えた。「このタイミングで小出しに速報してくることか!?」と腹が立った。

新聞やテレビの事件報道は、やっぱりおかしい。わかったことをわかっただけ伝えてくる。それを競う。そのことが、多くの事実を読者・視聴者に伝えることになる仕組みだという面は理解しているが、事件の全体像を歪んで見せるという面の弊害は大きい。手帳の取得が伝えられ、「精神障害だからか」「2級だから事件を起こしたのか」と、犯行と結び付けるなというほうがおかしい。

ではどのように伝えればいいのか。ひとつひとつわかった材料を、のちの影響も考えたうえで、ボリュームの強弱を慎重につけながら伝えること。事件の全体像を早くつかむ、それを伝えることに重きを置くこと。こんなことしか考えられないが・・・。だいたい、起訴され、裁判で判決が下るまでは「容疑者」であり、全体像として見えてこないともいえる。確かにそれでは遅い。事件について最も世間の関心があり、事件について世の中の人が考えるタイミングというのは事件直後なのだ。

それでも、「情報についてのボリュームの強弱を慎重につけながら伝える」というのは基本においてほしい。それは、川崎のバス停で子どもと大人が刺された事件でもそう。

blog.goo.ne.jp そのことが、メディアとして価値を上げることになるはずだ。

カネカ転勤騒動の本質は育休ハラスメントではない

夫の育休明け直後に転勤を告げられ、辞令の延期を求めるも受け入れられず、退職に至った、という話が盛り上がって、

「夫が育休明けに転勤命令⇒退職」 告発ツイートでカネカに批判殺到 | ハフポスト

 

 夫の転勤によって育休中に退職をさせられたことのある私は大いに「やれやれ」と思っている。ただ、「育休明け」に転勤させられたことが問題の本質ではないと思う。転勤は、その人の家族について十分かつ計画的な配慮がなければ、いつだって家族の大きな犠牲を伴うものであり、それが育休明けだろうが通常勤務中だろうが同じなのである。例えば夫が育休を取らず、妻が育休中で、そのときに夫が転勤を言い渡されたとしたら?どちらも通常勤務をしていて、転居先から前の職場に通えないとしたら?どの場合でも、夫婦のどちらかが退職しなければ家族生活を継続できないケースは多い。まさに、私のケースでもある。

この視点で、昔いろいろ調べたこともあるが、判例によって労働法の骨格ができている日本の現状の中で、育児介護休業法26条は「事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。」としていて、転勤で親の介護ができなくなるためにこの転勤は違法だ、となった判例があると知った。(カネカのケースではこの記事が出ていた)

news.yahoo.co.jp

 

 以前、この判例のことを知って、「介護は理由になるのに、めちゃめちゃ多くの家庭で不利益を被っている『子の養育』の場合は理由にならないっていうのか!!」と腹が立ったことを覚えている。子の養育のために、保育園を新たに見つけることだって相当に不利益な状況である。

だから、育休を取得した人かどうかは関係なく、転勤という不合理で労働者の不利益この上ない制度について、企業は見直すべきである。

メンタル不調を抱える人の「自分研究」「自分助け」としてのブログ

ニュース記事ではないが、soarというWEBメディアの記事から。

適応障害の診断を受けた鈴木悠平さんが、べてるの家に教えてもらった回復の道のり | soar(ソア)

 

自分の声を聞いて、“ちゃんと”自分助けをする。自分が当事者であることから逃げないこと。

べてるの家当事者研究は、決して「傷のなめ合い」的な共依存関係ではない。それぞれのありのままを受け止めつつも、一人ひとりが自分の人生の主人公になれるのだという、強い理念と信頼によって支えられていることを感じる言葉だ。

 精神保健福祉士のような、相談援助の「専門職」は、援助する相手の人を、「その人自身の専門家」として対等である、ということを常に意識するようにと教わる。精神保健福祉士の養成課程の中で、覚えている数少ない要点のひとつだ。これを、援助を求める人、困りごとを抱えた人の視点で考えると、この記事のようなことになるのだ。自分自身をよく研究し、自分なりに応えていく。それが、「自分自身の専門家である」ということなのだ。

このことを、私なりのやり方で深めているのが、「自分のブログを書く」という行為だと、再認識している。今のような、育休中の手持無沙汰の時間に、自分を見つめなおしたり、自分のある側面を思い出したり。前回の育休中は何を考えていたっけ、前に転職した際の決め手はなんだったっけ。この、自分のブログを書き続ける、というのは、ときにメンタル不調に陥る人には、「自分研究」「自分助け」にとても有効なツールだと思う。自分研究にもなるし、ときに世の中研究として、「綴り方」の要素も含んでいる。 ※綴り方の思想については→ 『現代日本の思想』 - ほっぷ すてっぷ

基本的には、自分で自分のブログを読む。でも、ときに読者が温かく反応してくれたり、そこから気づきを得たときにそのことを教えてくれると励みになる。ただ、ときに強すぎる刺激になったり、過剰な恐怖にもなる。そのあたりをコントロールできると、なおよい。今のところ、そういうプラットホームはなさそうだ。

「障害児の施設退所後の行き先に自立援助ホーム」とはどういうことか

この記事が、検索したらハフポストのサイトにあってびっくり。こんな地味なニュース・・・と思ったら、福祉新聞がハフポストに提供しているようだ。

自立援助ホーム、というのは、家庭環境が悪かったり親がいないなど、児童養護施設に行く要件を満たすような子どもの中で、高校に進学しなかったり中退したり、卒業したが住むところがなかったり、一人暮らしする自信がなかったり・・・というような事情の15~19歳の子供が共同生活をするところ。基本的に、働きに行く。順調に働くことができたり、お金がたまったりしたのちに、もしくは19歳を迎えると、卒業する。家賃や食費は数万円かかるので、自分で働いて払うことが前提。

そんな自立援助ホームは、数が少ないこともあり(県内に1か所程度のところも)、認知度は低いが、それがニュースになっていた。しかも、日本知的障害者福祉協会が発信したものとして。

障害児の施設退所後の行き先に「自立援助ホーム」創設を 日本知的障害者福祉協会

提言の背景にあるのは、18歳を過ぎても障害児施設にいる「加齢児」の存在。

厚生労働省は8日、障害児入所施設の在り方に関する検討会(座長=柏女霊峰・淑徳大教授)を開き、関係6団体からヒアリングした。その一つ、日本知的障害者福祉協会は、障害児施設を退所した後の行き先として「自立援助ホーム」の創設を提言した。
自立援助ホームは義務教育終了後の15歳から原則20歳未満の、親と暮らせない人が暮らす場で、児童福祉法に位置付けられている。現在、164カ所ある。同協会はそれとは別に、障害児に限定して22歳まで暮らすことのできるホームとしたい考えだ。

また、障害児施設に入所する段階から、措置権限を持つ児童相談所、18歳以上の障害者へのサービス支給決定権を持つ市町村などが施設退所後を見据えて話し合う仕組みをつくるよう要望した。
提言の背景には、18歳を過ぎても障害児施設にいる「加齢児」の存在がある。知的障害児施設で暮らす子どもの7割は行政の措置による。家庭で虐待されたことなどが理由だ。
そうした子どもが退所後の生活基盤を整えるには行政の関与が不可欠だが、現在は児童の制度から障害者の制度につなぐ仕組みが法的に担保されていない。その調整は施設の努力に負う現実があり、同協会はそれを改めたい考えだ。
協会が提言する自立援助ホームはこうした話し合いのシステムを構築した上で、アパート暮らしやグループホームに移る手前の通過型の施設として、少人数での共同生活に慣れることを想定する。
同協会は、5年前の厚労省検討会でも同様の提言をしたが、社会的養護の分野で制度改革が進んだことも踏まえ、再提言した。
親と暮らせない事情のある子どもの育ちを保障する社会的養護の分野では、障害のある子どもが増加。児童養護施設などは生活単位の小規模化が進められている。検討会は今年2月に発足し、12月をめどに報告書をまとめる。
(2019年5月22日福祉新聞より転載)

 

 前に、ブログにこんなことを書いたことがある。 
すでに、自立援助ホームに、障害のある子どもたちは進んでいる。それを、障害のある子限定の自立援助ホームにしたほうがよいのか、それはよくわからない。ただ、「アパート暮らしやグループホームに移る手前の通過型の施設として」という目的は理解できる。というのは、グループホームでは就労を支援する体制がないからだ。否、「就労をする生活」を支援できない。グループホームから、たとえば就労移行支援などに通ったとしても、日常生活の中で、仕事をする意識を持ってもらうには、確かに自立援助ホームのほうがやりやすいだろう。グループホームは、一般就労を目指す人も少ないし、作業所に通うだけの、ゆったりした生活スペースを何十年も続けている人が多いからだ。

一方で疑問なのは、私の理解では、障害児入所施設には重度障害の子どもが入所している場合が多い。一般就労を目指せるケースは少ないのではないか。そうであれば、グループホームをもっと作って、そこに進み、就労継続支援の事業所へ通うことを支援すると考えるほうがスムーズではないか。

・・・厚労省の検討会に出されたこの協会の資料を見ると、

https://www.mhlw.go.jp/content/12201000/000506292.pdf

想像以上に「加齢児」の割合が多く(30歳以上が入所者の8割以上)、彼らはおそらく重度の方が多いが、新たに入所している少数の児童については、就労につなげられる子も多い、ということなのだろう。検討会の議論は、また今後も見ていくことにしたい。